ジャンル別「院長の独り言」

「院長の独り言」をジャンル別でご紹介しています。鍼灸・東洋医学に対してもっと身近に感じていただこうと、一般の方にわかりやすく鍼灸・東洋医学にまつわるトピックを中心にお届けします。民間薬草や健康食材にまつわる話、鍼灸・東洋医学・健康に関する一般書などもあわせてご紹介いたします。

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鍼灸・東洋医学関連書籍編

『病が語る日本史』(2011年7月)

病が語る日本史』(酒井シズ著、講談社学術文庫)は、縄文時代から現代にいたるまで迷信の類からポンぺやシーボルトなどの史実に関することまで幅広く病を通して日本の文化史が語られた本です。

著者の酒井シヅさんは順天堂大学名誉教授の医史学者で、TBS系で日曜劇場として放送されたドラマ「JIN-仁-」の医療指導・監修もされています。

ちなみに本書には「茅輪くぐり」の話も載っています。

北の海に住む武塔神が、あるとき南の海に住む女神を訪ねた。

疫隈まで来たところで日が暮れた。

そこには蘇民将来と巨旦将来の兄弟が住んでいた。

武塔神はまず金持ちの巨旦を訪ねて宿を頼むと、身も知らぬあやしげな者を不審に思った巨旦は断った。

つぎに貧乏だが、こころ優しい蘇民を訪ねた。

蘇民は粟がらの座と粟飯しか出せないがといって、快く泊めてくれた。

それから数年たったある年、武塔神は同じ村を神々を従えてやってきた。

蘇民の家を訪ねて、茅でつくった茅の輪を贈って、蘇民将来の子孫はすべてこれを腰につけておくようにといって立ち去った。

その後で疫病が流行したとき、茅をつけた蘇民将来の子孫以外の者はみな死んだ。

これが蘇民将来の伝説で、いまでも神社によって6月の晦日に「夏越しの祓」といって境内に大きな茅の輪が作られ、茅の輪くぐりが行われます。

小説『許浚(ホジュン)』(2010年11月)

今回は小説『許浚(ホジュン)』の紹介です。

イ・ビョンフンさん演出のテレビドラマ、『宮廷女官チャングムの誓い』や『ホジュン 宮廷医官への道』は私も大変面白く観ました。(ちなみに、イ・ビョンフンさん演出の『イ・サン』がNHK総合テレビで毎週日曜午後11時より放送されています。)

ドラマ『ホジュン 宮廷医官への道』の原作が、『小説 東医宝鑑』で、日本では『許浚〈上〉医の道に辿りつく 』、『許浚〈下〉心医の域に達する 』(李恩成、朴菖煕著、桐原書店)として出版されています。

原作者の李恩成さんはシナリオライターで、1976年に許浚を描いた『執念』というテレビドラマがヒットし、そのシナリオを基に小説を書きましたが残念ながら急逝し小説は未完のまま終わっています。

テレビドラマと設定やストーリーなどで幾つか異なる点がありますが、ホジュンが東洋医学に邁進する姿はテレビドラマと同じように小説でも堪能できます。

小説は未完のままで終わっていますが、もし最後まで書かれていたらどんな結末だったのでしょうか?

もし小説が最後まで書かれていたらテレビドラマの結末も変わっていたかもしれませんね。

文庫版として『ホジュン 上 』、『ホジュン 中 』、『ホジュン 下 』(ランダムハウス講談社)があります。

『アーユルヴェーダとマルマ療法』を読んで(2010年11月)

インド医学にもツボがあり、それをマルマと呼びます。『改訂 アーユルヴェーダとマルマ療法』(デイヴィッド・フローリー、スバーシュ・ラナーデ 、アヴィナーシュ・レーレ著、上馬場和男・西川真知子訳、産調出版)は、インドのツボであるマルマについて書かれた本です。

インドにはアーユルヴェーダ医学あり、シッダ医学あり、ユーナニー医学あり、またそれらとは別にヨーガの身体観があります。歴史的に交流があり共通する部分もありますが、本来はそれぞれ別のものです。

厳密に言うとマルマはスリランカを含むインド南部のシッダ医学かとは思いますが、インドの伝統医学であるシッダ医学はあまり知られてなく、インド医学としてはアーユルヴェーダの方が有名なので、本書ではそれらを踏まえたうえでインド南部のアーユルヴェーダであるシッダ医学という表現がされています。

それはさておき、中国だけでなくインドにもツボ療法があるということは、私達鍼灸師にとっても興味深いことですし、ツボはある意味普遍的なものだということだと思います。

ちなみにツボとマルマを簡単に比較して見ますと、ツボの数は360(古代中国では一年の数を360日とした為。実際はツボの数はもっとたくさんある。)、マルマの数は107(私は解かりませんが107という数はインド文化において何らかの意味があると思います。マルマの数は実際はもっとある。)、ツボの大きさは点(実際は触診してみるとある一定の広がりがありますが概念としては点)、マルマの大きさは1/2横指〜4横指の面(あまりメジャーではありませんがインドにもスチ・マルマといって鍼療法がありますので鍼治療においては点に施術するのでしょうが概念としては一定の広がりをもった領域・面です。)

私達鍼灸師はツボを点として捉えますが教科書的な基準の位置と臨床上有効なツボの位置が異なることが多々あります。インドのマルマの様に初めからツボを面として捉え、その中から有効なポイントをツボとして捉えるのも面白い見方だと思います。

いずれにしてもツボやそれを用いる鍼灸というものは凄いと改めて思いました。

『医学の歴史』を読んで(2010年10月)

医学の歴史』(梶田昭著、講談社学術文庫)は文庫本で手軽ですし、内容も教科書的な羅列ではなく面白く読めて医学の歴史の全体像が解る内容の本です。

自分たちの立ち位置を知るのに歴史というのは重要です。

どのような流れで現在の立場が形成されたのか、またそこから未来に向けてどう在らねばならないかを考える一つの材料になると思うからです。

伝統医学である東洋医学が現代に存在する意義というのも医学の歴史を学ぶと見えてくるかも知れません。

ただ東洋医学を実践している者としては、文庫本でページの制約もあるのでしょうが、中国やインドの医学の歴史の部分がもっとあると良かったです。

また、これは無理な要望かもしれませんが、この本に書かれている事柄は医学の歴史の言わば正史です。

ですが歴史の中で間違いとされて埋もれている学説の中にも面白いものがありその中には一片の真実があると思います。

例えばメスメルの動物磁気やライヒのオルゴン、ドリーシュのエンテレヒー等々、多少オカルト的なものもありますが・・・。

これらの学説はある意味東洋医学・伝統医学と似通った考えをしており、何故近代にこのような考えが起こったのかその背景を考えることは東洋医学・伝統医学を考える意味でも面白いのではないかと思います。

『東洋医学の宇宙』をよんで(2010年8月)

東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界 』(藤本連風著、緑書房)は今年の3月に出た本で、簡単に内容を紹介しますと、東洋医学の背景にある東洋的なものの見方・考え方の法則を解説しています。

この本の一番のポイントだと思うのは、学者が頭の中だけで考えて生み出したというものではなく、鍼灸師が臨床実践という体験をとおして気づいたものだということです。

東洋医学に関わる鍼灸師や薬剤師、医師はもちろんですが、一般の方で東洋思想に興味のある方も読まれるとよいと思います。

話は変わりますが、藤本先生は最近ブログを始められたようです。タイトルは『鍼狂人の独り言』。

藤本漢祥院のホームページ「鍼灸治療 藤本漢祥院」からみれますので、興味のある方はご覧ください。

藤本蓮風先生のご著書

『今なぜ仏教医学か』を読んで(2010年3月)

仏教というと現代では葬式の時にしか縁がありませんが、奈良時代は僧医が医療の中心ですし日本で最初の病院は施薬院という仏教施設でした。

つまり日本では仏教医学が医療の中心の時代がありました。

『今なぜ仏教医学か』(杉田 暉道・藤原 寿則著、思文閣出版)には仏教医学の歴史と現代において仏教医学というか仏教が果たす役割について幅広く書かれています。

仏教医学はインドの時代、中国の時代、日本の時代でそれぞれ変化しています。

また現代日本でのビハーラという仏教ホスピスの活動なども紹介されています。

ガンなどのターミナルケアを行う場、例えば病院などに仏教の僧侶が参加して患者さんの心のケアをするというものでとても大事なことだと思います。

仏教にはもともと「臨終行儀」という看死の作法があるので心強い気がします。

個人的に面白かったところを挙げてみると、インドでの仏教医学は当たり前かもしれませんがインド医学とほぼ同じです。(病因として風大、火大、水大、地大の四種類)

ですが中国に仏教医学がわたると、例えば天台宗を開いた智ギの書いた『天台小止観』には病因として地大、風大、火大、水大の四大と心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓の五臓のアンバランスが原因となっています。(他の病因として鬼神によるもの、業の報いによるものというのも書かれています。)

つまり中国での仏教医学は四大による見方のインド医学ともともと中国の伝統医学である五臓による見方がミックスされた仏教医学だということです。

伝統医学といわれるものがある意味、形を変えながら伝わっていく。

面白いです。

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鍼治療の起源(2010年2月)

鍼治療の起源については実際のところよく解かっていません。

一般的には『中国医学の歴史 』(東洋学術出版社)などに書かれているように「へん石」と呼ばれる石を加工した治療用具が鍼の起源だといわれています。

素問医学の世界 』(藤木俊郎著 績文堂)には入れ墨が鍼の起源ではないかという面白い説が載っています。

日本や中国で入れ墨は刑罰として使われた時期も有りますがそれ以前には別の意味合いがあったようです。

北海道のアイヌ民族や沖縄の人達が入れ墨をしていたことは知られていますが、縄文時代の土偶の文様も入れ墨ではないかと謂われています。

シベリアのコリャーク族は痛む部位にその痛みを追い払うために入れ墨をしたり、不妊に対するまじないで顔面に入れ墨をしたりしますそういったことから入れ墨から鍼が生まれたのではないかと述べています。

素問医学の世界1991年アルプスの氷河で見つかった約五千年前の男性のミイラ(アイスマン)にはちょうどツボの位置に入れ墨があるのが見つかっており、鍼治療の痕ではないかとも謂われています。

私は個人的には入れ墨という行為そのものには否定的なのですが、鍼の起源として考えると面白いなと思います。

へん石は膿を出したり瀉血などに用いられるどちらかというとメスのような形で単に刺入する一般的な鍼とはすぐに結びつかない気もします。

(もちろん古代には九鍼といって、現在一般に使われる刺す鍼の他に膿を出したり瀉血の為に切り開く鍼や刺さないでツボを刺激する鍼などいろいろ有りましたから鍼の起源の一つの流れであることは間違いないとは思います。)

薬草を使った治療法は世界各地で生じていますが、鍼治療は他の地域には生まれず何故中国にだけ生まれたのか?私はずっと疑問でした。

入れ墨の文化は世界各地にありますので、もし入れ墨が鍼治療の起源だとすれば世界各地に鍼治療の痕跡があるということになります。

だとすれば他の地域では何故鍼治療の文化が発展しなかったのか?考えてみると面白いですね。

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『癒す力をさぐる 東の医学と西の医学』を読んで(2009年12月)

民族の数だけ伝統医学がありますが、本書『癒す力をさぐる―東の医学と西の医学 (図説 中国文化百華) 』(遠藤次郎、中村輝子、マリア・サキム著、農文協)では、伝統医学を大きくギリシャ医学系、インド医学系、中国医学系の3つに分け、それぞれの概略と中国医学とのかかわりについて書かれています。

ギリシャ医学はアラブ地域に伝わりアラブ医学(イスラム医学ともユナニ医学とも呼ばれる)として発展します。

その後アラブ医学はヨーロッパにも伝わり近代医学が出来るまでヨーロッパ・アラブ地域の中心的な医学でした。

中国医学とアラブ医学のつながりはイメージしにくいのですが、中国のウイグル族はアラブ医学の系統で中国医学では植物の地下部が多く使われるのに対し種子や果実を多用します。

三国志で有名な華佗は西域つまりアラブ医学の技術を持っていた(イラン人またはイラン人に医学を教わった中国人)とされています。

宋代に『和剤局方』という本が出版されます。

これは中国では基本的に一人一人の症状に合わせて薬の処方を考え煎じていたのを、あらかじめ薬を作り置きして患者に投与するというものでした。

また剤形もそれまでは湯剤、丸剤、散剤しかなかったのが『和剤局方』ではその他に丹、飲子、膏、餅子、煎、錠、雪など様々な剤形が収録されています。

多くの剤形があり、あらかじめ薬を作り置きしておくのはアラブ医学の特徴でもありますので何らかの影響があったとも考えられます。

インド医学はインドで生まれた医学で仏教とともに伝わりチベットをはじめ中国や日本にも影響を与えました。

インドでは地大、水大、火大、風大からすべてのものは成り立っているとし、身体では地大は肌・肉・骨などの固体を表し、水大は粘液・痰・冷性の体液、火大は胆汁・熱性の体液、風大は気液・体風素を表します。

四つに分けるところはギリシャ医学と同じですがギリシャは四体液論でインドは三体液論です。

中国との関係で面白いのは「痰」の字が中国で出来るのが唐の少し前の時代からでちょうどこの頃は仏教が盛んなときでした。(『金匱要略』にも「痰」の字は出てきますが後代にこの字に書き換えられたものでもともとは「淡」の字だったようです。)

つまり「痰」という概念はインド医学から伝わったということで、これが後に気血津液理論(日本漢方で言えば気血水理論)につながっていきます。

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『中国における妊娠・胎発生論の歴史』を読んで(2009年10月)

本書『中国における妊娠・胎発生論の歴史 』(中村禎里著、思文閣出版)は、まえがきにも書かれていますが妊娠・胎発生論という特殊な問題を通じてより広く中国の生命観の歴史をたどるというものです。

概略を述べますと、妊娠・生命の発生については、一つは気の凝集をもって生命の誕生を説明する見解、二つ目は天地または男女で示される陰陽の二つの気の交流によって生まれるとするもの、三つ目に陰陽の二つの気以外のものの関与があるとされるものがあります。

三つ目の一つの例として「精(父)血(母)交会し、識その間に投ずれば、すなわち娠あり。」(三因極一病証方論、陳言)というのがあり識というのは仏教では輪廻転生する本体ということで簡単に言うと魂のことで仏教思想の影響が伺われます。

胎発生論に関しては馬王堆から出土した帛書『胎産書』などは現存の最も古い胎発生論書であり妊娠1か月目から出産する10か月までをひと月ごとにどうなるか書かれていて五行の関与が中心で書かれています。

その後『諸病源候論』や『備急千金要方』に引き継がれますが道教思想なども取り込み一応の集大成となります。

その後、仏教思想の影響を受けたと思われる『五臓論』、流産・堕胎によって得られた胎の観察が反映している『太平御覧』、君火を仏教の識と位置づけた『三因極一病証方論』などが出てきて様々に展開されていきます。

東洋医学の立場からすると胎の発生に関してはあまり重きが置かれていません。

妊婦さんの症状に合わせてどのような治療を行うかに重点が置かれているからだと思います。

しかしながらそんな中でも生命の発生である妊娠や胎の発生に思いを馳せた人達がいて、様々に思考を積み重ねることで様々な理論が出来てきたのだと思います。

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『鍼の力 −知って得する東洋医学の知恵−』(2009年9月)

今年(平成21年)の7月に藤本先生の『鍼の力―知って得する東洋医学の知恵 』(藤本連風著、緑書房)が出版されました。

この本は藤本先生が奈良朝日カルチャーで一般の方々向けの公開講座での講演をまとめたものです。

内容は東洋医学は病をどのように捉えどのように治しているのかという東洋医学の根本であるものの見方考え方、そこからその背景となる東洋思想である太極陰陽論・老荘思想などについて述べられています。

鍼灸師の立場から書かれた一般向けの東洋医学の解説書はあまり無いのが現状です。

このような一般向けに書かれた良質の書籍がもっと出版されることを切に願います。

東洋医学に興味のある方は是非読まれたらと思います。

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『宋以前傷寒論考』を読んで(2009年5月)

先日、知人から勧められまして『宋以前傷寒論考 』(岡田研吉・牧角和宏・小高修司著、東洋学術出版社)という本を読みました。

専門家向けのかなりマニアックな本なので一般の方には少し難しい内容なのですが、非常に面白かったです。

『傷寒論』という東洋医学の中でも非常に重要な古典の本があるのですが、その内容が宋の時代に大きく書き換えられたということを様々な文献を元に論証していくのですが、さしずめ証拠を元に犯人を見つけ出す推理小説を読んでいるようなスリリングな時間を過ごすことが出来ました。

幾つか書き換えられた点があるのですが、その一つに陽明病に対する認識の変化があります。

現在の傷寒論では「陽明病胃家実」(裏熱実証)ですが古い傷寒論では「陽明病胃中寒」と冷えの証なのです。

病邪が変化した為か、体質が変わった為か、気候が変化した為かとにかく熱化しやすくなった、それで陽明病の認識も胃中寒から胃家実に変化していったようです。

これは時代が古いから良いとか新しいから良いとかいう問題ではなくてその時代にとって意味のある変化だったということですが、このような歴史を知っていると『傷寒論』がより理解しやすいと思います。

ここからは想像なのですが、中国清の時代に温病というのが出てくるのですがもしかしたら熱化し易さがより進んだのが温病なのかなと思ったりします。

というのも温邪が多いはずのインドの香辛料は意外と辛涼ではなく辛温のものが多いんです。

辛涼のものはウコンぐらいでコリアンダー、シナモン、クローブ、ナツメグみんな辛温です。

まぁ、これはいくつもある可能性の一つですが・・・。

あと面白かったのは陽病と陰病に関する認識についてです。

現在は「陽病には発汗吐下、陰病には温裏」ですが古代は「陽病は発汗、陰病は吐下」となっています。

これは古代においては邪を攻めるのが主体で虚を補う考えは比較的新しいものだということです。

私の個人的な考えですが本来の東洋医学というか東洋医学の始まりはどちらかというと張従正のような邪を駆逐するもので、虚を補う考えは本来は気功などの養生派の考えだと思います。

道家(気功家)の守一の考えから一元の元気(人体の太極)を守り養うという考えが生まれそれが医家に流れ『医貫』を書いた趙献可のような医家が出てきたのだと思います。

長い東洋医学の歴史の厚みを感じさせる一冊でした。

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『模倣の時代』を読んで(2008年2月)

先日、『模倣の時代』(板倉聖宣著、仮説社)という本を読みました。 この本は日本における脚気に対する歴史を述べたものです。

私達の多くの脚気に対するイメージは木槌で膝を叩いて足が上がる(膝蓋腱反射)とかビタミンB1の欠乏によって起こるとかいうものですが、脚気は恐ろしい病気で昔は多くの人が亡くなりました。

本書は『どんな人、どんな制度が創造性を発揮し、だめにしたか』という副題にも書かれている通り、どのような科学的態度でなければいけないのか、それを疎外するのに多くの場合党派性が関わっており優等生ほどその党派性に束縛されやすいなど脚気の問題を通してどのような科学的態度が必要かを述べた本です。

脚気についての概略を述べると、脚気は下肢のむくみや痺れを起こし、最後は脚気衝心といい非常に苦しんで心不全を起して亡くなる病気です。

明治37年の日露戦争のとき戦闘の死者数は48,428人で傷病者は352,700人そのうち脚気患者は212,700人で脚気による死者は27,800人(数字は史料により異なるようです)でした。

脚気による死者の多さが解かります。

脚気は幕末から多く広まった病気で、米食を中心とする東アジアに見られる病気です。

明治になってから政府の方針で漢方医学から西洋医学に切り替わりましたがその当時の西洋医学ではよく治すことが出来ず、脚気専門の漢方医の遠田澄庵など食事療法も重んじる経験を積んだ漢方医の方がよく治していたようです。

明治11年政府により脚気病院が設立され西洋医学と東洋医学のどちらが脚気を治せるか競わせようということになりました。

西洋医学のほうが優れているという政府の思惑通りの結果が出ず、結果はうやむやになってしまいましたが・・・。

その後、高木兼寛や堀内利国などが白米食が脚気の原因とし、志賀潔・都築甚之助・遠山椿吉・鈴木梅太郎等の研究へと続くのですが漢方医の主張と重なるということで青山胤通・森林太郎等によって長い間否定され続け日本の脚気研究が遅れる要因となりました。

その後、西洋で脚気がビタミンB1の欠乏によるものと確定されるとそのような方向性になりましたが、西洋には無い病気なので日本が独自性を発揮するチャンスだったのにそれを逃したことは残念です。

興味のある方は読まれてみてはいかがですか。

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『妊婦は太っちゃいけないの?』(2007年1月)

新年 好!(あけましておめでとうございます。)

本年も皆様が健康で幸福な生活を送るためのお手伝いが少しでも出来るように頑張りたいと思っています。

先日患者さんから、「先生この本面白いですよ。」と紹介された本がなかなか面白かったので皆さんにも紹介したいと思います。

妊婦は太っちゃいけないの?』(高島系子著、新潮社)

10数年東洋医学に関する記事を執筆しているライターである高島さんが自身の妊娠出産の経験も踏まえてナーバスになりがちな妊娠中や産後の生活を少しでも楽しめるようになるヒントを書いた本です。

自身が東洋医学に関する記事のライターの為、東洋医学に関する話がたくさん出てきます。

一般の人達にとっては東洋医学に親しむよいチャンスになるのではないでしょうか。

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『病の世相史』(2006年7月)

病いの世相史―江戸の医療事情先日友人に貸していた本が戻ってきました。

本のタイトルは『病いの世相史―江戸の医療事情』田中圭一 ちくま新書。

著者の田中圭一さんは柴田収蔵という幕末の村医者の日記を翻刻などされている人です。

この本を読むことによって江戸時代の医療文化がどのようなものだったか良く解かります。

例えば江戸時代のお百姓さんは意外にも頻繁に医者にかかっていたんだそうです。

私達の一般的なイメージでは江戸時代は医者の数も少なく一般の庶民はなかなか医者にかかれなかったように思われますが江戸時代の医者の数は多く庶民はよく医者に診てもっらっていたんだそうです。

また人々は薬草を煎じてお茶として飲用して病気の予防に役立て、朝夕に身体にお灸をすえて健康の維持に努めるなど自分自身でも健康に気を付けていました。

信長で有名な敦盛のなかで「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり 」というのがありますが、昔の人の寿命は五十歳ほどの短命だとに思われていますが実際は50才を越えて生きた人の数はかなり多かったようです。

そういえば戦国大名の北条早雲は87歳まで生きたんですよね。

一般には江戸時代は無知蒙昧で明治維新による文明開化によりやっと我々は正しい知識を得ることができたとされています。

手塚治虫先生の『陽だまりの樹』にも西洋医学の蘭方医は正義の味方で漢方医は悪役で出てきます。しかし必ずしもそうでない部分もあるのではないでしょうか。

ちょっと脱線しますが、明治時代に脚気相撲と呼ばれるものがありました。

西洋医学を医学の中心にすえようとしていた明治政府が(この当時ドイツ式の軍隊を導入しそれとセットで戦争による負傷に対する外科手術がすぐれているドイツ医学を取り入れました。)政府公認で西洋医学と東洋医学が脚気に対して治療成績を競うというものでした。

報告書を読むと西洋医学のほうが若干良い治療成績になっていますが、報告書が出されたのは脚気病院がスタートしてから3年後にようやく発表されるなどいくつか疑惑があります。

おそらく明治政府の意図したとおりにならなかった為でしょう、その後脚気相撲はうやむやになってしまいました。

この当時西洋医学では脚気の原因が解かっておらず(当時は脚気は細菌によるものと考えられていました)、東洋医学は原因が解からなくても(東洋医学は身体のバランスを整える治療の為)治療でき食養生も含めた東洋医学が一般的には優勢でした。

近年、昔のものであっても良いものは生かしていこうという潮流も生まれていますが、伝統の良さを再認識することは大切なことだと私は思います。

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漢字

『古事記の暗号―神話が語る科学の夜明け』と漢字(2011年12月)

古事記の暗号』(藤村由加、新潮社)は古事記を易の思想と漢字で読み解こうというものです。

大国主神は大地・坤為地であるというところから始まって、いなばのしろうさぎの話、根の堅州国の話、少名毘古那神との国作りの話、天津神への国譲りの話などを読み解いていきます。

単純に神話・お話しとしても古事記は面白いですが、いろいろな解釈があっていいと思いますし、面白い視点だと思いました。

鍼灸も含め東洋の学問を修めるには易の思想や漢字についての知識が必要です。

本書では、漢字についは主に音韻学の藤堂明保先生によっています。

藤堂先生は全く違う漢字でも同じまたは似ている音で読まれる漢字は共通の意味を持っているという単語家族という考えを出されました。

例えば「包」は「お腹に赤ちゃんのいる様子」、「宝」は「財貨を大切に家の中にしまっている様子」、「保」は「赤ちゃんを抱いている様子」という意味です。

それぞれ別の漢字ですが、ホウ・ホと同じ音で「丸く包む」という共通の意味があり、音そのものの中に意味があるという考えです。

話は飛びますが漢字といえば他に白川静先生という方がおられます。

白川先生は甲骨文字や金文といった漢字の字形の成り立ちから研究された方で、『字統』、『字訓』、『字通』などがあります。

漢字を学ぶなかで『説文解字』という有名な中国最古の字書があります。

540部に分けられていて、天を表す「一」が最初で、中間に「人」、末部に地を表す「二」が配置されているそうです。

そして540という数字は陰の数の代表の6と陽の数の代表の9を掛けた数を10倍したものだそうです。

天地人と陰陽つまり宇宙がこの中に表されているということです。

漢字一つとっても奥が深いですね。

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健康関連書籍編

『飲むお茶、食べるお茶 ミャンマー紅茶物語』(2012年3月)

飲むお茶、食べるお茶―ミャンマー紅茶物語』の著者磯淵猛さんは紅茶研究家で本もいくつも出されています。

ミャンマーにはもともと茶の原木があり、ロエサイペタミャータオンド寺にお茶の伝説があるそうです。

ロエサイペタミャータオンド寺は今から2000年も前に建てられ、孔雀を神の象徴として崇めてきました。

800年ほど前バガン王国のアラウンシドゥ王がこの寺を訪れた時、近くの川で捕えたミャンという鳥が7羽王に奉納されました。このうち2羽ののどが膨らんでいたので中のものを取り出すと何かの木の実でした。王は村の長老にこれを神の実として授けました。長老はその実を受け取る際、王にひざまずき、うやうやしく右手を差し出しました。普通、物をいただくときは両手を出すのがどの国でも一般的ですがこの村では片手で受け取るのがもっとも敬意を表す方法でした。そして長老がこの実を植えたところ、茶の木になった、というものです。

片手のことをミャンマー語で「レテ」、葉のことを「ペ」、それで茶葉のことを「レテペ」というのだそうです。

レテペは緑茶にもされ、その場合はラペチョウと呼ばれ、紅茶にした場合は、ラペイエ。さらに飲むばかりではなく、漬物のように茶葉を1年、2年と漬け込み、サラダ油をかけて、ゴマ、揚げたニンニク、ピーナッツやそら豆とあえて、お茶うけにして食べもします。これはラペットといいます。こんなふうに茶葉を丸ごと飲んで、食する民族、しかもそれが国民食となっている国は無いそうです。タイや雲南省では、一部の民族が食するだけだそうです。

ミャンマーの紅茶専門店で飲むラペイエはよーく煮出した紅茶液に、たっぷりのコンデンスミルクを沈め、スプーンで何十回もかき混ぜて、甘いミルクティーにしてから飲むのだそうです。

お茶の文化が国によって異なりるのはとても面白いことですが、お茶を食べる文化があるというのは驚きでした。

お茶は中国が発祥の地で、お茶の呼び方も中国福建省アモイ系の発音タイ(TAY)を語源にマレー、デンマーク、イタリアでテー(TE)、オランダ、フランスでは同じテーでも(THE)、そしてイギリスのティー(TEA)となりました。

一方、広東系の発音を語源にしたチャ(CHA)からスタートして、日本、ポルトガル、インドまでが同じ発音でチャとして残り、アラビア、トルコ、ロシアへはチャイ(CHAI)として広がりました。

そう考えると、ミャンマーでのお茶の呼び方をレテペというのも独特です。

茶葉の東洋医学的な効能は、キョ風(風邪を取り去る)、清爽頭目(頭や目の熱を取る)、清熱降火(熱を冷まし下に降ろす)、解暑、解熱毒、止痢、利水です。

ちなみに、腎陽虚(五臓六腑の腎の陽の働きが悪い)、脾胃虚寒(五臓六腑の脾胃が冷えて働きが悪い)タイプの人は控えたほうが良いです。

『黒い牛乳』を読んで(2011年06月)

黒い牛乳 (経営者新書)』(中洞正著、幻冬舎)は「山地酪農」について書かれた本です。

本書の「黒い牛乳」というタイトルはセンセーショナルですが現在の問題のある日本酪農により作られる牛乳が本当に健康な白い牛乳なのか?という問いかけではないでしょうか。

現在多くの牧場では牛は一頭当たり一坪にも満たないスペースにつながれ、栄養価の高い穀物飼料を食べさせられて、より多くのお乳が出るようにしむけられているミルク製造機械のようになっていて、そのほとんどの牛がその一生を牛舎で暮らすというものです。

これが本当に健康な在り方なのか?

牛は本来人間などが消化できない草を消化吸収できるように胃が4つある。

それが草を食べずに穀物飼料に偏った牛は第4胃変異の病気にかかったり、第1胃が酸性化して消化不良を引き起こすなどの問題が多発しその為薬剤が使われています。

このような要因として牛乳があまりにも工業製品のように大量生産の枠組みで生産されている面があります。

広い牧場の草原でゆったり牧草を食べる牛の乳では搾取量が少なく生産効率が悪いし、本当においしい牛乳ということであればガラス瓶のほうが美味しいが製造コストも安く扱いやすい紙パックが使われていたり、殺菌の方法も本来は低温保持殺菌法(63〜65度で30分殺菌、加熱臭がなく生乳に近い豊かな風味)のほうが美味しいのに大量生産に向かないので多くは超高温短時間殺菌法(120〜135度の高温で1〜3秒の殺菌法、大量生産に向いている、賞味期限が長くなる、加熱臭が出る)が用いられている。

また消費者の側にも濃い牛乳が美味しいということで不自然な牛乳を要望している面があったりします。

自然の中で草を食んで生きている牛が作り出す生乳の乳脂肪分は本来3.0〜3.5%程度。

夏場水分の多い青草を餌にしている期間は乳脂肪分は低く、乾草が主体となる冬場には乳脂肪分が増加する。一年中3.5%以上の成分無調整の牛乳が販売されるのは輸入穀物飼料を主体にした牛舎飼いという飼育方法なしには成立しないのです。

有機栽培や無農薬の野菜・米が話題になっているなか酪農もそのような自然な在り方ができないのか?

そこで山地酪農という方法が本書で示されています。

基本的に牛に草を食べさせる放牧酪農で搾乳のときだけ牛舎に牛が来るというもので、日本には広大な面積の山林があり年々山林の荒廃が進んでいます。その山林に牛を放ち下草を放牧した牛に食べさすと同時に下草刈りをさすというもので山林の荒廃も同時に防げるというものです。

詳しくは本書を読まれると良いと思いますが、個人的には健康というものを扱っている身として、健康とはどうあらねばならないのか、社会や自然と不可分である個人の健康の在り方についてあらためて考えさせられました。

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武道・東洋思想関連書籍

『神仙道と植芝盛平』を読んで(2009年11月)

本書『神仙道と植芝盛平―合気道と太極拳をつなぐ道教世界 』(清水豊著、ビイング・ネット・プレス)は、道教経典である『陰符経』の解説書です。

著者は合気道や太極拳の指導を行っている方で、道教の経典である『陰符経』を合気道や太極拳などの武術の立場から解説されています。

内容は合気道の植芝盛平や太極拳の様々な達人達の言葉を引用し彼らに共通する根本的な在り方が『陰符経』に書かれている世界と同じであるというものです。

『陰符経』は道篇、法篇、術篇の三篇からなります。

道とは天(宇宙)のはたらきで、法はそれが目に見える形に表れたもので、術はそれを自分たちが利益になるようにする為のノウハウです。

人が術ばかり追い求めてしまうと天(宇宙)のはたらきである道から離れてしまう。

そうすると滅んでしまう。

人は道に根ざして生きていかなくてはならない。

道を知るために術を知り、法を知り、そして道を知ることが大切だというものです。

高度な科学技術の発達が自然を破壊し人類に危機をもたらす可能性を私達は多く目にします。

道から離れない、自然や宇宙の在りようから離れない私達の在り方が大切なのでしょう。

個人的には『陰符経』の表現が面白いです。

五行を五賊と表現したり、普通に機というところを殺機と表現したり、天は生み天は殺すと表現したり、経典のわりにずいぶん過激です。

でも考えてみると『老子』のなかにも5章に「天地は仁ならず、万物を以って芻狗と為す」(天地はなさけ深いわけでなく、万物を葬儀用の藁人形と同様に扱う)という言葉があります。

天(宇宙)のはたらきは感情によって動かされるものではなくただ無心に執行されるものだという冷徹で厳しい現実認識があるのでしょう。

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『FLOW 韓氏意拳の哲学』を読んで(2009年6月)

今回は最近読んで面白かった『FLOW―韓氏意拳の哲学 』(尹 雄大著、冬弓舎)という本について述べたいと思います。

著者はライターで、意拳という中国武術を習うなかでいろいろ思索したことを書いています。

私は武術に関しては全くの門外漢ですが、鍼灸という広い意味で同じ東洋文化を学ぶ者として面白く読ませていただきました。

これまでも東洋思想と武術の関係についてはいろいろ謂われていたようですが、それは精神面についてだったり、歴史的背景としてだったりで個々の技術レベルにまでいくとどちらかというと関係が薄いようでした。

本書では個々の技術というか動きがどうあらねばならないかということが、東洋思想との関係から書かれています。

個々の技術を東洋思想的にまたは物理的にどう解釈するかよりも東洋思想の本道を発現するには個々の技術がどうあらねばならないかということが大切だと思います。

ここでの東洋思想の本道とは自然の発現で、当然身体を含めた自然です。

では自然な振る舞い、動きとは何なんでしょうか。

著者はただ手を挙げるにも自然に挙げるのは難しいといいます。

自然に振舞っているつもりでも自然でない動きをしている。

それは日常の習慣による体癖(体の歪み)だったり心や意識により本来の自然が阻害されているというこです。

つまり自然な動きを阻害している要因を取り除き本来の自然な動きを発現させることが大切だと思います。

そのために感覚(本書の中では体認という用語を使い感覚と明確に分けていますが一般的ではないのでここでは感覚とします。)と形を物差しにします。

そういった過程を経て最終的な目標を「あるがままの自分を100%出す」というところにおいています。

本の面白さがうまく伝えれたかどうか解かりませんが興味のある方は読んでみたらいいと思います。

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評論・エッセイ関連書籍

『梅棹忠夫 語る』を読んで(2011年10月)

梅棹忠夫 語る』(小山修三著、日経プレミアシリーズ)を読んで、梅棹先生は20世紀の知の巨人だと改めて思いました。

いちばん心に残ったのは、「自分の目で見て、自分の頭で考える、これが大事や。」というフレーズです。

もちろん梅棹先生は文献などは事前に読み込んでおられるのでしょうが、自分の目で見て、自分の頭で考えるからこそ自由な着想が生まれ、これまでのパラダイムを変えるような胸がわくわくする発見が出来るのではないかと思いました。

小山先生は私の師匠藤本蓮風先生の飲み友達でもあり鍼の患者さんでもあります。

国立民族学博物館の名誉教授という偉い先生なのですが、普段は冗談ばかりいう面白い先生です。

私が藤本先生の内弟子のとき治療の待ち時間に一度アボリジニについてお話ししてくださった思い出があります。

内容紹介
権威をかざす学者・評論家、世に跋扈する“似非インテリ”たちにガツンとひとこと言ってやろう。「あんたは自分で確かめたのか?」――「知の探検家」梅棹忠夫が自由奔放にその哲学を語った最後の“梅棹ワールド”。 (「Amazon」からの引用)

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落語関連書籍

だって寒いんだもん 〜『古典落語 志ん生集』より〜(2006年9月)

古典落語 志ん生集先日、本を片付けていたら『古典落語 志ん生集』(古今亭志ん生 ちくま文庫)が出てきて、ついつい読み込んでしまいました。

この本は古今亭志ん生の落語をそのまま文章にしたものです。

本当は実際に生で落語を聞くのが一番なのでしょうが、私は落語を本で読むのも好きです。

そういえば、糸井重里さんが何かのインタビューかなんかで一番好きなフレーズは落語に出てくる「だって寒いんだもん」というフレーズだといっていました。 これは、ろくでもない亭主にずっとついているおかみさんに「なんであんなのと一緒にいるの?」と聞いたときの答えがこの「だって寒いんだもん」なんです。

これは志ん生の『風呂敷』という噺のまくらに使われるものなんですが、落語の面白さの一つはこういう一見単純そうな言葉のなかに深みのあるところなんですよね。

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