「院長の独り言」年度別

「院長の独り言」を時系列でご紹介しています。鍼灸・東洋医学に対してもっと身近に感じていただこうと、一般の方にわかりやすく鍼灸・東洋医学にまつわるトピックを中心にお届けします。民間薬草や健康食材にまつわる話、鍼灸・東洋医学・健康に関する一般書などもあわせてご紹介いたします。

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2010年1月~6月の「院長の独り言」

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静座(2010年6月)

前回、八段錦という気功について書きました。

八段錦のように動作のある気功を動功といいます。

気功には動功と並ぶもう一つの大きな柱に静功というのがあります。

静功とは静座つまり座禅や瞑想と同じものです。

静座の効用はいろいろありますが、こころ・精神を落ち着かせるというのが一番の効用だと思います。

私も静座をするのですが雑念が多くて上手くいかないことも多いですが、スッと心が静かになる気持ちのいい時間を過ごせるときがあります。

ちなみに脳波にはベータ波(はっきりと起きている状態、13~30Hz)、アルファ波(リラックスしている状態、8~13Hz)、シータ波(深いリラックス・浅い眠り・瞑想状態、4~8Hz)、デルタ波(深い睡眠状態・深い瞑想状態、0~4Hz)の4種類があります。

本来は静功・瞑想は一般にリラックス状態として知られているアルファ波よりもっと深い状態を目指すものですがそこまでいかなくても十分に効果があると思います。

キリスト教徒だった新渡戸稲造も彼は黙思という言葉を使ってますが、一日一回は世間の喧騒から離れて黙思(静座・瞑想)することの大切さを説いていています。

八段錦(2010年5月)

最近、「八段錦」を習い始めました。

八段錦とは中国に古くから伝わる導引の一つで、導引とは簡単に言うと気功の一種で呼吸に合わせながら身体を伸ばす動作を行うものです。

実際にやってみると、見るのとやるのとでは大違いで結構大変です。

でも終わった後は非常に爽快感があり、鍼灸とはまた違った心地よさがあります。

導引は『荘子』の中にも熊や鳥の動作として紹介されています。

八段錦と並ぶ有名な導引に三国志にも出てくる有名な医者である華陀が作った「五禽戯(ごきんぎ)」という虎、鹿、熊、猿、鳥の動物の動きを真似た導引もあります。

導引の歴史も古く馬王堆(中国漢代のお墓)の中から導引をしている図が見つかっています。

馬王堆は私達、鍼灸師にとっても『陰陽十一脈経』や『足ひ十一脈経』など現在の十二経絡以前の十一経絡の古い文献等も出土しています。

『黄帝内経』の異法方宜論にはお灸は北の地方から鍼は南の地方から漢方薬は西の地方でから導引は中央の地方からへん石は東の地方から来たとされています。

現代においては鍼灸や漢方薬や導引は別々に使われていますが、古代においてはもっと身近にもっと合わさった総合的な形で使われたと思います。

爪について(2010年4月)

東洋医学は西洋医学と違い診断に機械を使いません。

そのため東洋医学では五感を駆使して身体のアンバランスを判断します。

その判断材料の一つに爪があります。

東洋医学では爪がもろく、つやがないのは血虚をあらわしていますし、どの指の爪に異常があるのかによってどの経絡の異常かを判断します。

当院の患者さんで若い時から喘息を患っているお婆さんがいるのですが、その方は親指の爪が他の指よりスジが多く白い色をしています。

(親指は肺の経絡が通っていますので、長く喘息の持病があるため肺の経絡に異常を起こしたものと思われます。)

お灸の名人だった深谷伊三郎先生の『お灸で病気を治した話』には白内障の予後の判定に爪を見て判断する話が載っていますが名人は独自に自分なりの判断方法を見つけ出すところに感心させられます。

指先が膨らんで太鼓のバチのような形になり、そのため爪が指先を包むように大きく丸くなるバチ指という症状があるのですが、これは別名ヒポクラテス指又はヒポクラテス爪といわれ古くから肺の病気と関係があることが知られています。

例えば肺がんを例にとると、肺に転移した転移性の肺がんの場合はあまり出ませんが肺から起こった原発性の肺がんの場合六割のひとにバチ指が見られるそうです。

爪一つとっても、奥が深いですね。

『今なぜ仏教医学か』(杉田 暉道・藤原 寿則著、思文閣出版)(2010年3月)

仏教というと現代では葬式の時にしか縁がありませんが、奈良時代は僧医が医療の中心ですし日本で最初の病院は施薬院という仏教施設でした。

つまり日本では仏教医学が医療の中心の時代がありました。中国医学の歴史

『今なぜ仏教医学か』には仏教医学の歴史と現代において仏教医学というか仏教が果たす役割について幅広く書かれています。

仏教医学はインドの時代、中国の時代、日本の時代でそれぞれ変化しています。

また現代日本でのビハーラという仏教ホスピスの活動なども紹介されています。

ガンなどのターミナルケアを行う場、例えば病院などに仏教の僧侶が参加して患者さんの心のケアをするというものでとても大事なことだと思います。

仏教にはもともと「臨終行儀」という看死の作法があるので心強い気がします。

個人的に面白かったところを挙げてみると、インドでの仏教医学は当たり前かもしれませんがインド医学とほぼ同じです。(病因として風大、火大、水大、地大の四種類)

ですが中国に仏教医学がわたると、例えば天台宗を開いた智ギの書いた『天台小止観』には病因として地大、風大、火大、水大の四大と心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓の五臓のアンバランスが原因となっています。(他の病因として鬼神によるもの、業の報いによるものというのも書かれています。)

つまり中国での仏教医学は四大による見方のインド医学ともともと中国の伝統医学である五臓による見方がミックスされた仏教医学だということです。

伝統医学といわれるものがある意味、形を変えながら伝わっていく。

面白いです。

鍼治療の起源(2010年2月)

鍼治療の起源については実際のところよく解かっていません。

中国医学の歴史一般的には『中国医学の歴史』(東洋学術出版社)などに書かれているように「へん石」と呼ばれる石を加工した治療用具が鍼の起源だといわれています。

素問医学の世界』(藤木俊郎著 績文堂)には入れ墨が鍼の起源ではないかという面白い説が載っています。

日本や中国で入れ墨は刑罰として使われた時期も有りますがそれ以前には別の意味合いがあったようです。

北海道のアイヌ民族や沖縄の人達が入れ墨をしていたことは知られていますが、縄文時代の土偶の文様も入れ墨ではないかと謂われています。

シベリアのコリャーク族は痛む部位にその痛みを追い払うために入れ墨をしたり、不妊に対するまじないで顔面に入れ墨をしたりしますそういったことから入れ墨から鍼が生まれたのではないかと述べています。

素問医学の世界1991年アルプスの氷河で見つかった約五千年前の男性のミイラ(アイスマン)にはちょうどツボの位置に入れ墨があるのが見つかっており、鍼治療の痕ではないかとも謂われています。

私は個人的には入れ墨という行為そのものには否定的なのですが、鍼の起源として考えると面白いなと思います。

へん石は膿を出したり瀉血などに用いられるどちらかというとメスのような形で単に刺入する一般的な鍼とはすぐに結びつかない気もします。

(もちろん古代には九鍼といって、現在一般に使われる刺す鍼の他に膿を出したり瀉血の為に切り開く鍼や刺さないでツボを刺激する鍼などいろいろ有りましたから鍼の起源の一つの流れであることは間違いないとは思います。)

薬草を使った治療法は世界各地で生じていますが、鍼治療は他の地域には生まれず何故中国にだけ生まれたのか?私はずっと疑問でした。

入れ墨の文化は世界各地にありますので、もし入れ墨が鍼治療の起源だとすれば世界各地に鍼治療の痕跡があるということになります。

だとすれば他の地域では何故鍼治療の文化が発展しなかったのか?考えてみると面白いですね。

2010年新年のご挨拶 ~他の伝統医学も学ぶ~(2010年年始)

明けましておめでとうございます。今年も無事に新年を迎えることができました。

これもひとえに患者さん、家族、友人など応援していただいている皆様方のお蔭です。これからも一歩づつ学術の向上を目指しつつ頑張りたいと思っています。

今年の抱負と致しましては東洋医学・鍼灸の学術の向上はもちろんですが余裕があれば他の伝統医学、例えばインド医学、ギリシヤ医学、アラブ医学なども少し学んでみたいと思っています。

同じものでも文化によって異なる見方・解釈になるでしょう。

そういった異なる部分と、そういったものを超えて伝統医学に共通する部分があるのではないかと思っています。

学んだことを日々の臨床に生かせればと思っています。

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